七宝町史によりますと弘長元年初春(西一二六一年)日蓮大聖人が、(立正安国論発表の翌年)鎌倉から佐屋川西堤を通り、京都の吉田御所へ向かおうとした節、真言宗の密勝寺(現在の七宝町大字川部)の住職が裾衣(つまご)橋(佐屋川の橋)で待ちうけ、呼び止めて問答を申し込みました。
稿(きょう)守牛田兵士宅で、三月十三日から三日三夜、日蓮大聖人から、宗論、守護国家論、安国論等を聞き、密勝寺住職は問答に負け、屈服し密勝寺を改宗して、日蓮宗の寺とし、日蓮大聖人の弟子となり、善覚院日妙上人と改名しました。
明治2年つまご橋に、善覚院日妙堂を建立し、妙勝寺の奥院としました。
愛知県に於いては、日蓮大聖人の問答地は他にありません。
このことから、日蓮大聖人と七宝町は、古くからのゆかりの地であるのです。
   
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